友好親善交流宣言都市:愛知県西尾市(旧幡豆郡吉良町)

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あいちけん はずぐん きらちょう

愛知県幡豆郡吉良町

友好親善交流宣言都市の経緯

 明治45年6月、南極探検を終えた白瀬中尉は、全員無事に東京に凱旋しましたが、彼を待っていたのは、探検費用返済のための苦難に満ちた果てしない旅でした。自宅は借金返済のために売却し、二女タケコとともに、南極で撮影した映画をもって全国を講演の旅に出ました。

 昭和21年8月19日、さすらいの果て、白瀬中尉は愛知県豊田市に着き、それからわずか17日目の9月4日に腸閉塞(または栄養失調)のため、85歳で亡くなりました。葬儀は身内だけで、霊前に供えられたのは僅かカボチャ二つだけという、本当に寂しいものでした。

 昭和22年、白瀬中尉の死後、ヤス夫人、二女タケコさん、孫喜子さんの3人が途方にくれているという窮状を伝え聞いた柵木吉良町長(初代吉良町長)は、住まいを西林寺に、そして教員免許状をもっていたタケコには横須賀中学校の講師の職を世話しました。また、近所の人たちも一家を暖かく迎え入れてくれ、ヤス夫人は感動して、本籍を金浦町から吉良町へ移しました。

 昭和26年、ヤス夫人が亡くなり、タケコさんは両親の遺骨を西林寺に仮埋葬し、喜子さんと東京に移住しました。

 昭和32年1月、日本の南極観測がスタートし、白瀬中尉の名は現代に甦り始めました。

 昭和32年3月、白瀬中尉の生家(浄蓮寺)から分骨を請われて、甥の白瀬知燈が吉良町を訪問し、金浦町に白瀬中尉の墓を建立しました。

 昭和33年、吉良町史蹟保存会が「南極探検隊長大和雪原開拓者之墓」を建立し、その後は吉良町が墓域周辺を整備しました。
(現在、吉良町の白瀬隊長顕彰会が、毎年9月に白瀬中尉の追悼会を開催しております。)

 平成2年4月20日、金浦町で「白瀬南極探検隊記念館」の竣工式が行われました。

 平成7年3月4日、「生誕地・金浦町」と「永住地・吉良町」は、ともに白瀬中尉の墓を持つことから友好提携関係を結び、吉良町で「友好親善交流宣言書」に調印しました。

 平成17年10月1日、金浦町は象潟町・仁賀保町と合併し、「にかほ市」となりましたが、吉良町との友好親善交流宣言は継続しており、両首長が相互に訪問するなど、交流と友好の絆はさらに深まっております。

 平成23年4月1日、吉良町は西尾市・一色町・幡豆町と合併し、「西尾市」となりましたが、交流の経緯や歴史が尊重され、友好親善交流宣言は継続されております。

吉良町の概要

 愛知県幡豆郡吉良町は、愛知県の海岸部中央に位置する人口約22,000人(約6,000世帯)、面積36平方km、海あり、山あり、平野ありの豊かな自然に恵まれたまちです。

 年間平均気温17℃と温暖なことから多種類の農作物が栽培され、四季折々の野菜、果物の宝庫です。

また、風光明媚な三河湾に面した景勝地でもあり、温泉、潮干狩り、海水浴、マリンスポーツなどのレジャーにも絶好のロケーションとなっております。

 

吉良町にある白瀬中尉の墓碑