姉妹地:東京都台東区 浅草馬道地区町会連合会

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姉妹地
                                   あさくさうまみちちくちょうかいれんごうかい
東京都台東区 浅草馬道地区町会連合会


 

《姉妹地の経緯》

 江戸時代に本荘藩主であった六郷氏が浅草に下屋敷を設けたとき、領内の景勝地である「象潟九十九島」にちなんで、屋敷付近の町名に「浅草象潟町」と名付けました。

 昭和41年の住居表示変更までは、象潟1〜3丁目という地名がありましたが、現在は浅草3〜5丁目となっています。

 しかし、現在も浅草三丁目象一町会、浅草象潟町会、浅草象三町会という町内会があります。

 この歴史をふまえて、象潟町と浅草の町会との交流が始まり、平成5年7月22日に、その3つの町会を含む「浅草馬道地区町会連合会(※)」と「姉妹地」の盟約を取り交わしました。

※馬道地区町会連合会:24町会の連合(平成23年12月1日現在:世帯数12,360、人口21,605)
 


 
《姉妹地との交流》
昭和48年 「浅草象潟三町会」の創立50周年記念式典に象潟町長が出席。
昭和56年 浅草象潟三町会一行63人が象潟町を訪問。
昭和60年 象潟町合併30周年記念式典に浅草象潟三町会一行をご招待。
平成3年 浅草の富士公園で「秋田象潟大物産展」を開催。(以降、13年までに10回開催)
平成4年 浅草象潟三町会一行9人が象潟町を訪問。
象潟三町会の小中学生13人が象潟町に民泊して農作業等を体験。
平成5年 象潟三町会の小中学生が象潟町に民泊して農作業等を体験。
象潟三町会の子どもたちが通う、三つの小学校に水稲「ササニシキ」の苗とミニ水田(水田土壌入りプランター)を送り、各校の児童らはミニ水田に田植えをした。
以降、現在も毎年三つの小学校に水稲苗と培土を送付。
平成6年 象潟町の小中学生16人が浅草でホームステイを体験。
平成8年 象潟町の青年グループが浅草を訪れ、浅草象三町会の青年会と交流。
平成9年 象潟町の青年グループが浅草三社祭に参加。
平成10年 「ふるさと象潟のつどい」(首都圏在住の象潟町出身者による「象潟会」主催)を東京都台東区民会館で開催し、姉妹地関係者をご招待。以降、毎年ご招待し、幅広く交流を深めている。
(平成20年から会場を「浅草ビューホテル」へ変更。)
平成11年 浅草象潟三町会一行12人が象潟町を訪問。
平成12年 浅草象潟三町会一行16人が象潟町を訪問。
象潟中学校修学旅行一行が浅草を訪問。
平成13年 象潟中学校修学旅行一行(生徒145人、引率者7人)が浅草を訪問。
浅草象潟三町会婦人部一行15人が象潟町を訪問。
最後となった第10回目の「秋田象潟大物産展」を富士公園で開催。
平成15年 江戸開府400年・姉妹地交流30周年記念事業として、浅草三丁目象一町会地内に松尾芭蕉の「象潟や 雨に西施が ねぶの花」の句碑を建立した。
平成16年 「象潟ふれあい農林水産体験塾」を開催し、馬道地区の小学生の親子23人が参加。
平成17年 「象潟ふれあい農林水産体験塾」を開催し、馬道地区の小学生の親子19人が参加。
平成18年 「象潟ふれあい体験塾in Nikaho」を開催し、馬道地区の小学生の親子21人が参加。
平成19年 馬道地区町会連合会の会長一行22人が「にかほ市」を訪問。
平成20年 旧三町のふるさと会が統合した「にかほ市ふるさと会」を浅草ビューホテルで開催。

平成21年

 

 

平成22年 

 

平成23年

浅草神社境内で「秋田にかほ市大物産展」を開催。(主催:にかほ市交流協議会) ※11月28日(土)

「にかほ市ふるさと会」を浅草ビューホテルで開催。

浅草神社境内で「秋田にかほ市大物産展」を開催。(主催:にかほ市交流協議会) ※11月27日(土)

浅草神社境内で「秋田にかほ市大物産展」を開催。(主催:にかほ市交流協議会)※11月26日(土)

 


 
《浅草象潟の歴史》
 延宝5年(1677)、本荘藩主・六郷氏(2万石の外様大名)は、浅草に下屋敷を設け、付近の町名に「浅草象潟町」と名付けました。領内の景勝地を町名にあてたケースはとても珍しいことでした。

 浅草象潟の六郷氏の下屋敷は、敷地面積が1,000坪。表門は北向きに、東は町屋、南に長屋があり、一間幅の溝がそれに沿っていました。今の柳通りに面して表門があり、長屋の一部が大正12年(1923)の関東大震災まで残っていました。

 昔は浅草寺の近くに火事があれば、かならず六郷家から家臣が駆けつけ、境内の警備に当たっていました。また、三社の祭礼に必要な馬は六郷家から借用するのが慣例で、年頭に浅草寺の別当が六郷家へ赴くのも恒例行事となっていました。

 明治元年(1868)、最後の藩主・六郷政鑑は、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟にくみせず、薩長に加勢しました。このため、新政府ができて政鑑は藩知事、さらに子爵に列せられました。

 明治4年(1871)、廃藩置県で本荘藩がなくなった翌年に「浅草象潟町」の地名が生まれたのは「論功行賞の一環では」と推測する史家もおります。

 明治5年(1872)、浅草象潟町が誕生しました。町のほぼ中央にある「浅草警察署」は戦前までは「象潟警察署」でした。

 明治11年(1878)11月2日、それまでの大区制が廃止されて浅草区が誕生した際、区内120町内の一つが「象潟町」と命名されました。そのとき、旧本荘藩主・六郷政鑑の住居は「象潟町1番地」でした。

 大正13年(1924)11月23日、町内の親睦、自治の向上、福利の増進を目的として、象潟町に初めて町会が組織されました。

 昭和9年(1934)9月1日、町名整理が行われ、それまでの千束2丁目が象潟1丁目に、象潟町が象潟2丁目に、そして千束3丁目と田町1丁目が象潟3丁目という新表示になりました。つまり旧象潟町(新・象潟町2丁目)を中核として象潟町の地名が拡大されました。

 
《現在の浅草象潟》
 観音裏(浅草寺の裏)に「象潟」の名を残す3町会があり、ここは台東区内で唯一の三業地です。三業地とは料亭、待合、芸者置屋の3つが揃っている由緒ある本格派の花柳界のことです。

 昭和の初めには1,500人の芸者を擁していたといわれ、現在でも浅草組合「見番」(芸者の出入りを預かる事務所)には20軒の料亭と数十人の芸者が加入しており、いまも浅草の象潟は、夜になると艶やかな芸者衆が行き交っています。

 平成15年、江戸開府400年を迎えた年、その花柳界のメーン通り(観音裏柳通り)に、浅草と象潟の交流の証として、俳聖松尾芭蕉が詠んだ「象潟や 雨に西施が ねぶの花」の句碑が建立され、同じ場所に象潟町が寄贈した「ねむの木」が植えられています。

 この句碑は台東区、馬道地区町会連合会、象潟町と地元の方々の寄付で建立され、地元では「江戸情緒を残すこの町で芭蕉の足跡と象潟の歴史を伝えていきたい」と話しています。

 句碑と同時に新設された24基のあんどん風の街路灯には、芭蕉が奥の細道の最北端である象潟まで旅する途中に詠んだ代表的な24句がつづられています。

 また、平成16年には句碑の向かいに投句箱が設置され、自由な俳句が投句されています。

 


 



 

−問い合せ先−
にかほ市総務部企画情報課地域交流推進係
(電話 0184−43−7510)