夫婦町:宮城県宮城郡松島町

更新日:2022年01月31日

宮城県宮城郡松島町 (みやぎけんみやぎぐんまつしままち)

松島町の概要

 宮城県宮城郡松島町は、宮城県の海岸部中央に位置する人口約14,000人(約5,600世帯)、面積はおよそ54平方キロメートルのまちです。

 昔から風光明媚で知られ、俳聖松尾芭蕉も絶賛した日本三景の一つであり、松島湾には大小260余島の島々が浮かびます。長い年月の波浪浸食、風化作用によって四季を通じてそれぞれ異なった景観を呈する自然美や、歴史的、学術的にも価値の高い文化遺産が数多くあり、国の特別名勝にも指定されております。

夫婦町の経緯

 松島町とにかほ市の象潟町は、俳聖松尾芭蕉の紀行文『奥の細道』で「俤 松嶋にかよひて又異なり 松嶋は笑うが如く 象潟はうらむがごとし」とつづっているように、昔から広く世に知られた対照的な絶景の地でした。

 また、約700年前、象潟町横町出身の谷(たに)女が松島町のすでに他界した小太郎に嫁ぎ、その父母に孝養を尽くし、一生を小太郎に捧げた『軒端の梅心月庵紅蓮尼物語』は日本女性の鑑として語り伝えられております。

 こうした地理的、歴史的背景によって両町は夫婦の如く存在し緊密に結ばれていることから、昭和62年8月1日に「夫婦町」の盟約を取り交わしました。

 同日、紅蓮尼の生家跡である象潟町公会堂の前庭で、紅蓮尼碑が建立されました。

小太郎と紅蓮尼

 元亨(1321〜1323)、象潟の商人「森隼人」は西国三十三番観音参りの途中、松島の「掃部」と道連れとなりました。二人が国へ帰る頃には、森の娘「タニ」と掃部の息子「小太郎」の縁組の話が出来上がっていました。

 森隼人が象潟へ帰ってそのことをタニに伝えたところ、タニはその縁を信じ、まだ見ぬ小太郎に心を引かれていきました。そのときタニは18歳だったといわれ、嫁入りの身支度を調え、はるばる山を越えて松島へ嫁いでいきました。

 しかし、松島へ着いてみると、夫となるはずの小太郎はちょっとした病がもとで亡くなっていました。まわりの人たちは、また国に戻ってよき夫に嫁ぐようすすめたのですが、タニは「縁あって約束したからには、小太郎の妻であり掃部家の嫁である。小太郎の供養をしながら、小太郎の両親とともに暮らす」といって、どうしても帰ろうとしませんでした。タニはそれ以後、実の父母に仕える様に婚家の親に孝養をつくしたといわれています。

 タニは老父母の死を見とった後円福寺(瑞巌寺)に入り、心月紅蓮の名をもらって尼僧となりました。そして生計の為に門前で長方形のせんべいを焼いて商いました(瑞巌寺の観音様に参詣する人たちがお供えした米を粉にして、煎餅を焼いて村の人々に施しをしたことが始まりとも言われています)。松島の人々はこのせんべいを「おこうれん」と呼び、今でもそのせんべいは残っています。おこうれんが長方形だったのは紅蓮尼が和歌を好んだため、短冊の形にしたものといわれています。

 紅連は77歳まで生き、人々はこの貞節を末永く称えたのです。

にかほ市・松島町の交流活動

  • 十日会による交流:ねむの木の植栽、蓮池への蓮の植栽、芭蕉の苗木の寄贈
  • スポーツ相互間交流:サッカー、野球など(スポーツ少年団、シニア)
  • 文化・観光交流:小太郎・紅蓮尼比翼塚供養祭 両市町での作品展、企画展の開催
  • 職員派遣、議会議員:にかほ市から松島町への職員派遣・議員視察研修

松島町・にかほ市夫婦町締結30周年記念

 平成29年7月7日(七夕)、夫婦町締結30周年記念事業がにかほ市で行われ、両市町長をはじめ、議会議員、関係者が集い、「真珠婚」を盛大に祝うとともに、今後交流を深めていくことを約束しました。

記念植樹(両市町長、両議長)

芝生が広がる場所でスーツ姿の4人の男性がシャベルを持って地面を掘っている写真

祝賀会

「松島町・にかほ市夫婦町締結30周年記念式典・祝賀会」と書かれた横断幕と金屏風をバックに、2人のスーツ姿の男性が両手で握手をしている写真

象潟町出身の木版画家、池田修三先生の木版画作品「星会い 7月」をお互いに送り合いました。

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